生活の記録

ラッパーKAR としての音楽活動のこと、障害のある子供たちと共に学ぶ仕事を通じて社会に発信したいことを書き連ねます

子供に合わせて演じる度合いについて


六連勤も終わり

合間に路上ライブもあって

ラッパーとしても仕事としても

最高に充実した一週間でした!!






今回は子供と接する時に

子供の目線にあわせて演じる

ということを支援者や教育者の人は

少なからずしているかと思いますが

その度合いみたいなものについて自分なりの考えを述べていこうかなと







そもそも演じる

ってゆうのは

例えば3歳のお子様を前にした時

「〜ちゃん、そんなこともできるんや!?

すごいなぁ」


と行ったような言葉を






トーンをあげたり

少し赤ちゃん言葉のように砕いたり

する表現を使うことですね








僕も意識します。

わかりやすい言葉を選んだり

トーンをあげたり、わざと笑顔を作ったり。

リアクションを大げさにしてみたり。












でも最近なんとなく思うことなんですけど

演じる度合いを

一定のパターンを持つことって

すごい危ういなあって。








子供はとても敏感だと思うので

お子さんによって、過剰な声かけや態度は

受けがいい場合と良くない場合が

あるような気がします。




例えばある子は

リアクションが大きいのはすごい喜ぶけど、あんまり声のトーンが高いとちょっと

楽しくないとか


リアクションが大げさだとテンションが上がりすぎて、ゲームのルールとかどうでもよくなっちゃう!とか






なにより子供を理解するということにおいて、自然体で関わるということを

僕はとても大事にしているので

少なからず演じている自分に

違和感があったりします。











でもこの違和感って仕事に慣れていけばいくほど忘れていって、職業病のように

ごく当たり前にできるようになっていく

ことなんですよね












一面ではすごくいいことだと思う。

でも一面で、なんの疑問も持たずにみんなに同じように接してしまう

という要因の一つになり得るなあ

と思います。












もちろん演じて子供の目線で関わることを否定しているわけではないし、僕も実践していることだし、理にかなっていると思います。









でも一回、自分の関わりを見直す

ということは子供を理解する上で大事なこと。










少し、演技の度合いを変えるだけで

また違う一面がみえたりするものですからね









まぁ何が言いたいかというと、

一つの演じるパターンだけで子供に関わるのではなくて、こうしたらどうなるだろう?


ちょっと言葉遣いを変えてみようかな?



と、日々試行錯誤していくことは

忘れてはいけないのではないかなって

ことですね。












意外と大人っぽい3歳もいれば

結構子供っぽい小学生もいます。


その子に合わせた関わりができるといいなあ






といつも考えています。







結構教育の業界に従事している人向けの

記事になりましたが、何かのお役に立てれば🙏