生活の記録

ラッパーKAR としての音楽活動のこと、障害のある子供たちと共に学ぶ仕事を通じて社会に発信したいことを書き連ねます

「僕は君の味方なんだよ」の意識



日々所謂、障害特性から凹凸のあるお子様と関わっていると

たまに衝突することがあります。





今日1つそういうことがありました



ホッチキス止めされたプリントの束を見て、ある子供が「この1枚目のプリントはやりたくないから外して」


と要望があったから

ビリッと一枚剥がしてどうぞ


って渡すと



「ちぎれとは言ってない!プリントがやぶれたもういやだ!!!」





と叫んで机をガーーーンって蹴っ飛ばしてパンチパンチキックキックみたいに暴れだしました。






僕は「それは、言ってくれないとわからないし暴れたって前もって教えてくれないと、わからないよ」






と伝えます。






ここでこちらがごめんね

じゃあ新しいの取ってくるね




と言うときっとその子は落ち着くし

それで何の問題も起きないけど






僕の良かれと思ってとった行動は

どうなるの?





って





嫌な気持ちにしようと思ってとった行動ではないのです








そういうことを理解するのは彼的に

やや難しいということはわかった上で



一回ぶつかる道を今日は選んでみました








自分にとって許せないことが起こった時に

どうすれば落ち着けるかを知る



というのはとっても必要なことだから








でもこれは1つ間違えると関係性が壊れたりすることにつながりかねないので




とっても主観的で抽象的だけど

「僕は味方なんだよ」ってゆう

ことを伝えることに注力しました












彼は続けます



「ホッチキスを持ってきてもう一度止めてくれ」と




要求を表出することができる


というのはすごいことなので







ちゃんと教えてくれてありがとう


 ということは伝えつつ





「他にもお友達がいるから僕だけ教室を離れてホッチキスを取りに行くわけにはいかないんだ」





と言いました









そしたら彼は



「お前は先生のくせになんにもしてくれない!!僕は伝えた!」と一点張り



でも僕も僕の言い分を優しく伝えつつ譲らない


しばらくこの時間が続きました













するといつも結構自分勝手なところがあり、暴れている彼とは喧嘩をしたこともあるもう1人の男の子が


「水を飲みにいきたい」



といって、教室を出ていって帰ってくるついでに

他の指導員からホッチキスをもらってきて

僕に渡してくれました。














すごいことやな


と思った。






葛藤という要素は学びを生み出す

ということを改めて実感した。










暴れていた彼は

「先生がホッチキスを持って来てくれないと意味がない」


といいつつも、新しく束になったプリントをみて少しずつ落ち着いていきました。










しばらくして



僕が「ちぎっちゃってごめんね、でも、ちゃんと自分で切り替えれたから偉いね」



と優しく言い



「〜君が嫌いだから言うことを聞かなかったんじゃないよ。むしろ聞いてあげたかったに決まってるやん。でも僕にも僕の言い分があったんだよ」


と続けました。





僕は君の味方なんだよ


と伝えることを意識しながら










すると彼は悪戯に笑いながら

「お母さんには暴れたこと言わないでね

よかったことだけ言ってね」



と、ぼそっとつぶやきました







だから

「当たり前やん今勉強頑張ってるし

自分で切り替えて偉いよ」






と褒めてあげた




2人だけの秘密やで


みたいな空気が流れた。






彼はそこからすごく笑顔で活動に参加して





お友達のいいところを見つけよう




というプログラムでは




ホッチキスを持って来てくれた男の子に





「困っている時助けてくれる」




と、いいところを伝えていました。










本当にすごいなあと思った



普段この2人はライバル意識がすごくて

なかなか認め合わないんだけど





ありがとう



ってゆう気持ちを伝えて


お互いがお互いを認めあってた




すごくいい経験を彼はしたんだと思う。














対等ではない、縦の関係性だと

この学びは生まれないと思ってます



暴れてはいけない


落ち着きなさい



とただ頭ごなしにコントロールすることも違う




し、すべての要求をのんで事なきを得るような逆もまた然り。





合理的な配慮はしつつ

対等の立場で関わること








たしかに暴れた彼にとっては今日のやりとりはすごい負担のかかることだったかもしれないけど







最後はぼくとも仲直りして

とっても楽しそうに帰っていきました。












「葛藤」という要素は対等な関係性でこそ学びに変わるんだと思う。


でもただ衝突することと葛藤は違う。







そして衝突、と葛藤

の違いは


「僕は君の味方なんだよ」



ということをしっかり伝えることができるかどうかというところなんじゃないかなと



 表情や声かけ、気持ちの部分の話にはなるけどそういう空気感を伝えること。










答えなんてないんです





もし特別支援教育に絶対的な答えが

ある日提示されたら



もうこの仕事はやめると思う。









人の気持ちは分からなくて当たり前

だから葛藤して関わろうとする


障害のあるお子様との関わりもまた同じです



障害特性や専門的な知識はもちろん

頭に入れるし、そこに配慮した環境も設定するけど



分からないことがあって当たり前なんです

だから、当事者と対話が生まれる。もちろん葛藤することもある。




その葛藤をプラスに変えるスパイスは



「僕は君の味方なんだよ」



という意識かな



なんてお酒飲みながら思いました。