生活の記録

ラッパーKAR としての音楽活動のこと、障害のある子供たちと共に学ぶ仕事を通じて社会に発信したいことを書き連ねます

専門性って何?

障害のある子供達や、成人の方と関わる

ということに対して、専門性ってゆう

ハードルが少なからずあるとは思うですけど

専門性ってなんなん?


っていつも思います。





ABAとか、心理療法とか箱庭?

とか、学ぶことはいいことだし

理にかなってはいると思うけど

それははたして関わっていく上で

絶対条件なんかな?

ってゆう疑問がずっと昔からありました





もし絶対条件なら

障害のない社会なんて訪れるの?



って思います 

    



だって専門性のある人はこの社会の中で一握りですから




むしろ

障害のある人と密に関わったことない

人の方がおそらく多いし

その専門性というハードルがある故に

どう話しかけていいかわからない

という人も少なからずいると思う










僕の場合は

従兄弟に聴覚の障害があったけど

小学校ぐらいの時一緒にめちゃめちゃ

遊んでたし、手話なんてできなかったけど

意思の疎通に困ったことは一度もなかった



でも伝えたいことはわかったし

僕の意思も彼はわかってくれた





波長を合わせる、合わせてもらう

そういう相互関係の中に関わり

ってゆうのは生まれるはずや!

ってゆう意識でずっと実践をしてきたし

今もそれは変わってません


          







でもそれはセンスとか感受性。

みたいな言語化しづらい何かを紐解く

ということだし

そこにもまた、違和感なく適応する人となかなかできない人がいる













「なんか仲良くなった気がする」

「この子って、こいつってもしかしたらこういう気持ちなんかな?」


とか漠然とした、理解

ここにもっと価値をもたらしたいんですよね







支援とか、関わりに答えなんてないと思うしあってはいけないと僕は思います








わからないからこそ

知ろうとする。

わからないからこそ

一緒に頭を抱える

そこに対話が生まれる

そのループに向き合う。









これが一番大事だと思う。













今日指導にはいって、

「即時強化がすごく上手ですね!」




って褒められたけど



即時強化?そんな意識はなかった



ってめっちゃ思いました。











即時強化ってゆうのは

子供が何かプラスになる行動を起こした時に

3秒以内に褒めてその行動を強化する



ってゆうものらしいけど










ぼくは子供の行動を強化したい!

と思って



「めっちゃすごいやん!

素晴らしい!!」



ってゆう言葉をかけてるんじゃなくて








心から、この子めっちゃ頑張って

計算してくれた!!

こんなに暗算できるんや!



すごい!!!!!!



という感動から声をかけるだけ。











それが教育ってことやとぼくは思ってます







勉強を教えてあげる、支援してあげる

行動を変えてあげる、


じゃなくて


目の前の当事者と共に学ぶ、生きていく



上下関係ではなくて対等










専門性よりもそれが絶対条件やと思う








  

主観的なものは

研究としては中々成り立たないし、

今の流れだと軽視されてるのかもしれないけど


ぼくは主観的な、質的なものに

全て委ねるわけではないけど

それをしっかりと大事に心に留める

ことこそ教育学や障害学に

必要なことやと思っています









職場の歓送迎会で飲んでたら

専門性について少し議題にあがって

いたので、ほろ酔いに任せて

自分の意見をつらつらと書いてみました








半径30センチの支援と

広い社会における支援のあり方

それを擦り合わせて変えていくことが

音楽以外に見つけた僕のやりたいこと

やとなんとなく思ってます。